シカと鹿肉と日本人

ニホンジカ

日本では鹿肉食が禁忌されていた長い歴史があります。

いえ、誰も食べなかったとは言いません。むしろ、とくに古い時代は人々の貴重な栄養源でした。また「しし」という言葉は「食用野獣、およびその肉」の意味がありますが、その中でもとくに美味とされ、「いのしし」と並び称されたのが「かのしし」つまり鹿の肉でした。その独特な香りから、「香のしし→しか」となったという説もあるくらいです。

しかしその後、徐々に鹿肉利用は減りました。とくに都市部においてはほとんど食されなくなったのです。

ところが近年、シカの増加を理由に、ジビエとしての鹿肉食が奨励されるようになってしまいました。鹿好きな私としては非常に残念なことです。私に言わせれば、一時期激減していたシカたちが、最近ようやく数を戻し始めたに過ぎないのですが。

鹿肉がどれほど禁忌されてきたか。以下、原田信男著『日本人はなにを食べてきたか』(角川ソフィア文庫)より引用させていただきます。

なお、画像/動画はうちに来たシカ達を撮影したものです。本とは関係ありません。

原田信男著『日本人はなにを食べてきたか』(角川ソフィア文庫)より

(前略)そのなかで、弥生末期から古墳時代にかけて、肉のもつ死のイメージから、肉食が稲作に悪影響をおよぼす、という信仰が、一部で形成されたのだろう。そして、こうした稲作儀礼を古代国家が正統なものとして認めたため、全国規模で肉を忌むことの徹底化が進み、動物供養を伴う農耕儀礼は次第に否定されていった、と考えてよいだろう。(後略)

原田信男著『日本人はなにを食べてきたか』ISBN:9784044094164 page 73-74

さらに天平勝宝四年(七五二)には、注目すべき殺傷禁止令を発布した。これは一月三日から一二月の三一日まで、いっさいの殺生を禁ずるというもので、これを守ると生活が成り立たないという漁民に対しては、一人に一日二升ずつの稲籾を与える、としている。この年には、奈良の大仏の開眼供養が行われる予定であり、仏教による鎮護国家を実現させるために、国家としての威信をかけた大事業の一環として、このような法令が出されたのである。この殺生禁断令には、漁業に対する膨大な補償を覚悟してまでも、農業を社会の基礎に据える、という国家の強い意志が示されている。

原田信男著『日本人はなにを食べてきたか』ISBN:9784044094164 page 75-76

(前略)『魏志』倭人伝には、倭人は服喪中には肉を食べない、という風習が記されている。この事実には大いに留意すべきで、おそらくは農耕に対する肉への古いこだわりが、食肉穢につながったものと考えられる。もっとも重要な農耕と天皇即位のための儀礼である践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)については、『律令』の冒頭に、儀式に先立つ一か月の間、役人は服喪・病気・肉食・刑殺・処罰・音楽という六つの「穢悪」にかかわってはならない、という規定がある。 これは散斎(さんさい)と呼ばれるもので、ほとんどが中国の律令の模倣であるが、このなかで肉食だけが、日本独自の規定として挿入された、という点に注目すべきであろう。

原田信男著『日本人はなにを食べてきたか』ISBN:9784044094164 page 102-103

鹿や猪を食べたら100日の穢れ

(前略)穢れ意識に基づく蝕穢(しょくえ)思想は、さらなる発展を遂げ、体系化されて中世社会に浸透したため、主要な神社では、物忌令(ぶつきりょう)が相次いで成文化されることになる。これらの物忌令は、死穢・産穢(しえ・さんえ)などの穢れの種類と物忌すべき日数を定めたもので、肉食についても詳細な規定が存在した。たとえば文保二年(一三一八)に成立した伊勢大神宮物忌令の解説書『文保記』には、猪や鹿を食べた人は一〇〇日、合火(あいび)は二一日、又合火(またあいび)は七日、その間は大神宮に来てはいけない、としている。平安期の『延喜式』では、鹿肉は穢れの対象ですらなく、六畜の場合で三日の物忌だったものが、鎌倉期には鹿や猪でも一〇〇日となっており、穢れの観念が極端に増大していることがうかがえる。

この合火・又合火とは、穢れが伝染して三転する、というもので、次のような場合を指す。『文保記』を例にとれば、まずAという人物が、鹿肉を食べると一〇〇日間穢れる。このAの友人にBがいて、Aが穢れている期間に、同じ火で調理した食事をBがしたとすると、Bは合火となり二一日間穢れる。さらにAをまったく知らないCが、Bの穢れた間に一緒の食事をしてしまうと、Cも又合火となって七日間穢れる、というものである。

(中略) この問題については、まず鎌倉初期の『諸社禁忌』から、鹿食に関する物忌日だけをみると、多くの神社は七〇日から一〇〇日ほどである。同じ鹿肉でも、神社によって物忌日が異なることから、穢れに絶対的な基準が存在したわけではないが、肉食に対するかなり厳しい禁忌意識が、すでに鎌倉期に定着していたことがわかる。(後略)

(注:太字nekohon)

原田信男著『日本人はなにを食べてきたか』ISBN:9784044094164 page 119-120
Wildcamera

その基本となったのが石高制というシステムで、米を国家経済の基礎に置くという世界でも類例をみない社会体制が確立したのである。(後略)

原田信男著『日本人はなにを食べてきたか』ISBN:9784044094164 page 152

(前略)これは、米を社会的生産の基礎に据えようとした古代律令国家の理想が、長い年月をかけて実現をみたもので、中世を通じて進行した肉の否定と水田志向の結果、と考えられる。(後略)

原田信男著『日本人はなにを食べてきたか』ISBN:9784044094164 page 155

ところが十七世紀後半の寛文-延宝期を過ぎる頃から、獣肉に対する穢れの問題が意識されはじめた。寛文一一年(一六七一)に刊行された名古屋玄医(なごやげんい)の『閲甫(えつぽ)食物本草』は、日本における最初の本格的な食物本草書であるが、獣部の鹿の項では、次のように述べている。彼が考えるには、畜類は穢れており、決して君子の食べものではない。しかし、これを食べる人が多く、とくに老人や金持ちは、色を好み肉食の助けを借りようとして、かえって患いとなっている。もともと神国である日本では、殺生を戒めてきたのであるから、肉食をするものに神が罰を与えるのは当然であろう、と批判している。

原田信男著『日本人はなにを食べてきたか』ISBN:9784044094164 page 165

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原田信男『日本人は何を食べてきたか』

角川ソフィア文庫、平成22年(2010年)発行、ISBN:9784044094164

野生動物はこんなに少ない

人類の登場以来、野生動物達の数が減り続け、とくに近代にはいってからは激減。

地球上の哺乳類のバイオマスは、重量ベースで60~62%が家畜、34~36%が人間、そして野生動物は、ゾウもカバも、さらに海洋動物のクジラやトドもいれて、わずか4%!分かりやすい表が↓こちら↓(犬猫等ペット総数は1%に満たないので図にありません)。

この表は「哺乳類」だけを対象としていますが、家禽達をも含めた場合は以下の通り。

https://ourworldindata.org/wild-mammals-birds-biomass

家禽類(主に鶏、他にアヒル・ガチョウ等)は、野生の鳥達全部を合わせたより約2.5倍も多く存在しています。ちなみに、日本だけで1日で殺される鶏の数は約175万羽だそうです。が、これは鶏肉として殺される鶏の数。その他に、生まれたその日に殺される鶏たちがいます。採卵鶏の雄のヒナたちです。雄は卵を産めませんから、孵化したとたんに殺されます。その数、年間約1億羽(÷365で1日約27万4千羽)。恐ろしや・・・!!

話を戻します。

いまや地球上にわずかしか存在しなくなってしまった、貴重な野生動物たち。そんな野生動物であるシカたちを、近年の日本政府は「殺して食べろ」と国民に強いています。そして踊らされた一部の人間たちが、狩猟だジビエだと張り切っています。

私としてましては、なんとか共生の道に進んでほしい、進むべきだと願ってやみません。

↓こちら【GIGAZINE】さんの記事は読みやすくお勧めです。

「世界にいる哺乳類のうち34%が人間で野生動物はたった4%」など知られざる哺乳類の豆知識9選
https://gigazine.net/news/20221120-our-world-in-data-mammals/

ちなみに、世界人口は・・・

日本その他一部の国では少子化などと言われていますが、世界人口は増え続けています。どのくらい増えているかと言いますと↓

世界人口推移(総務省+国連人口基金による)
世界人口推移(総務省+国連人口基金による)

地球は有限。
これほどヒトばかり増え続けて、しかし野生動物は殺し続けて、いったいいつまで地球はもってくれるのでしょうか・・・???

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