寒山(かんざん)【漢詩、唐時代】

猫と本

【文献で詠われた猫たち】シリーズ。

『寒山詩集』より「猫」が登場する2首

久須本文雄『座右版 寒山拾得』(講談社、ISBN:9784062072939)より、唐代の伝説的人物・寒山が遺したといわれる漢詩約300首のうち、まず、猫が出てくるもの2首を紹介します。

いずれも、「猫」の字が使われているという程度であり、猫を歌ったものではありません。

夫れ物には用うる所あり

夫物有所用
用之各有宣
用之若失所
一闕復一虧
円鑿而方枘
悲哉空爾為
驊騮将捕鼠
不及跛猫児

(『寒山詩』四九番目)

【書き下し文】

夫(そ)れ物には用うる所あり
之(こ)れを用うるに各おの宜(よろ)しきあり
之れを用うるに若(も)し所を失えば
一闕(けつ)復(ま)た一虧(き)す
鑿(あな)を円(まる)くして枘(ほぞ)を方(しかく)にす
悲しい哉(かな)空しく爾為(しかな)せることや
驊騮(かりゅう)将(まさ)に鼠を捕えんとするも
跛(は)たる猫児(ねこ)に及ばず

【意味】

さて物にはそれぞれ用うべき長所というものがある。それでこれを用うるには適材を適処に用うべきである。もし用い方をまちがえば、一方が欠ければまた他の一方も欠けてしまうことになる。あたかも円い穴に四角な栓を差し込もうとすれば、悲しいことに、喰い違いが生じてくる。一日千里をかける駿馬が、鼠を捕えようとしてみても、足の悪い猫にもとても及ばないと同じである。

《解説》

白隠禅師は「この詩について、物は各々其の性に随(したが)って用うべきの意を述べたものである」と評している。「眼は見、耳は聴く」、「鳥は飛び、魚は泳ぐ」、これが禅家でいう如是(如如・是是)であって、物の性能を誤って逆にすれば、本来の姿で無くなる、すなわち如是とはいえなくなる。本来の性質に適応した能力があるので、その適応能力を発揮さすべきである。如是については、拙著『禅語入門』九参照。

久須本文雄『座右版 寒山拾得』講談社 ISBN:9784062072939 page120-121

昔時は可可に貧なりしが

昔時可可貧
今日最貧凍
作事不諧和
觸途成倥偬
行泥廔脚屈
坐社頻腹痛
失却斑猫児
老鼠囲飯瓮

(『寒山詩』一六一番目)

【書き下し文】

昔時(せきじ)は可可に貧なりしが
今日は最も貧凍す
事を作(な)して諧和せず
途(みち)に触れて倥偬(こうそう)を成す
泥を行けば廔(しば)しば脚は屈し
社に座れば頻(しきり)に腹は痛む
斑猫児を失脚して
老鼠は飯瓮(はんおう)を囲む

【意味】

昔はかなり貧乏であったが、現在はもっとひどい極貧の生活である。何事をしても都合よくゆかず、どこへ赴いても黒する許(ばか)りである。泥の道を歩いて足はたびたび挫けそうになり、隣組の会合に出ると、いつも腹痛を催す。雑色の猫がおらなくなったら、鼠たちに飯びつを分捕られてしまった。

《解説》

白隠禅師は、この詩について、「斑猫児は寒公不退堅固の願行心をいう。この心勇健にして思念情量の衆魔を推伏すること、宛も猫児の偸鼠(とうそ)の類における、目前に蠢爾(虫の動くさま)たる物悉く呑噉(どんたん。食う)せらるるが如し。今言うこころは、貧困窮餓誠に一切の病悩疾く一身に集め上(の)ぼすが如し。堅固の道情(道心・菩提心)、彼の斑猫児に似ること無くんば、必ず妄想の偸鼠のために菩提(智・覚の意)の資糧を偸却せらるるなり」と評している。この詩を禅的に言い換えれば、静処では漸く純一の境地を得ても、動処ではかえって妄心が萌(きざ)し動揺して安心立命が得られない。これは道心が堅固でなく修行が徹底しないことによる。それで煩悩・妄想に攪乱されてしまうことになる。この詩は修行の心得と衆魔の降伏について述べているが、要は不退堅固の願行心を以て処すべきである。なお、この詩は、寒山が長年の放浪生活における貧窮の」状態を述懐したものといえる。

久須本文雄『座右版 寒山拾得』講談社 ISBN:9784062072939 page271-272

『寒山詩集』より「獅子」が登場する2首

同じく、久須本文雄『座右版 寒山拾得』(講談社、ISBN:9784062072939)より。

吁嗟濁濫の処は

吁嗟濁濫処
羅刹共賢人
謂是等流類
焉知道不親
狐仮獅子勢
詐妄却称珍
鉛礦入鑪治
方知金不真

(『寒山詩』一一七番目)

【書き下し文】

吁嗟(ああ)濁濫(だくらん)の処は
羅刹(らせつ)賢人と共にす
是(こ)れ流類等と謂う
焉(いずく)んぞ道の親しからざるを知らん
狐獅子の勢を仮(か)り
詐妄(さもう)を却(かえ)って珍と称す
鉛礦(えんこう)鑪治(ろや)に入らば
方(まさ)に金の真ならざるを知る

【意味】

ああ濁り乱れたこの世の中では、悪鬼と賢人が一緒に住いしている。それは同類のように思われるが、思いのほか、両者は道を同じくしてはいない。ずるがしこい狐が、獅子の威勢を借りて百獣の王と称し、群獣をだましたが、かえってこれを善いことと考えていた。鉛の鉱石も精錬すれば、確かに黄金とは違うものであることがわかる。

久須本文雄『座右版 寒山拾得』講談社 ISBN:9784062072939 page212-213

人生一百年

人生一百年
佛説十二部
慈悲如野鹿
瞋怒似家狗
家狗趕不去
野鹿常好走
欲伏獼猴心
須聴獅子吼

(『寒山詩』一五五番目)

【書き下し文】

人生一百年
仏説十二部
慈悲は野鹿の如く
瞋怒(しんど)は家狗(く)に似る
家狗は趕(お)えども去らず
野鹿は常に好く走(に)ぐ
獼猴(びこう)の心を臥せんと欲せば
須(すべか)らく獅子吼(ししく)を聴くべし

【意味】

人生は長くて百年であり、仏の説法は十二種類ある。慈悲は野の鹿のようであり、瞋怒(いかり)は狩った犬のようなものである。飼い犬―瞋怒―は追い払っても去らないし、野の鹿―慈悲―はいつもよく恐れて逃げようとする。猿の心―妄信―を降伏させようとするならば、獅子の吼える声―仏陀の説法、大法輪―を聞くべきである。

久須本文雄『座右版 寒山拾得』講談社 ISBN:9784062072939 page262-263

『寒山詩集』より「虎」が登場する5首

同じく、久須本文雄『座右版 寒山拾得』(講談社、ISBN:9784062072939)より。

夕陽西山に赫やき

夕陽赫西山
草木光曄曄
復有朦朧処
松蘿相連接
此中多伏虎
見我奮迅鬛
手中無寸刃
争不懼懾懾

(『寒山詩』一四七番目)

【書き下し文】

夕陽(せきよう)西山に赫(かが)やき
草木光り曄曄(ようよう)たり
復(ま)た朦朧(もうろう)の処有り
松蘿相(らあ)い連接す
此の中伏虎多く
我れを見て鬛(りょう)を奮迅す
手中に寸刃無し
争(いか)でか懼(おそ)れて懾懾(しょうしょう)たらざらんや

【意味】

夕日が西山に傾いて余光を照す時、草や木はその落日の光を浴びて赤く輝いている。光の届かない処はかすんでうす暗く、つたが互いにからみ連なっている。この夕闇の中に沢山虎が潜んでおって、私を見てたて髪をさか立てて襲いかかろうとした。手に小刀を持たなかったので、どうして怖れ戦(おのの)かずにいられようか。

《解釈》

視点を換えて見るならば、行員は無常迅速にして、その中に生死(迷いの世界)なる猛虎が潜在しているが、自己に見性の利刃が無かったならば、誠に恐怖すべきであることを述べたものともいえる。

久須本文雄『座右版 寒山拾得』講談社 ISBN:9784062072939 page252-253

精神殊に爽爽たり

精神殊爽爽
形貌極堂堂
能射穿七札
読書覧五行
経眠虎頭枕
昔坐象牙牀
若無阿堵物
不啻冷如霜

(『寒山詩』一八二番目)

【書き下し文】

精神殊に爽爽(そうそう)たり
形貌(ぼう)極めて堂堂たり
能く射て七札を穿(うが)ち
書を読めば五行を覧(み)る
経(かつ)て虎頭の枕に眠り
昔象牙の牀(しょう)に坐る
若(も)し阿堵物(あとぶつ)の無くんば
啻(ただ)に冷たきこと霜の如くなるのみにあらず

【意味】

気だてが人に優れ、風采や容貌がいかめしく立派である。武芸では七枚の鎧のさねを射通すほどであり、文学の面では読書の時に一度に五行も読み下すほどである。これまでに虎の頭を枕にして眠ったこともあり、また象牙を床にして坐ったこともある。もしもあれ(銭)が無かったならば、辛い目にあうどころではない。

《解説》

虎頭枕=漢の李黄が兄と冥山の北に遊猟して猛虎を射殺し、その頭を切断して枕とした(『西京雑記』)という故事による。

白隠禅師は「この詩は文を能くし武を良くするの達士も銭無きがために屈を受くるの嘆を述ぶ」と評している。つまり、これは学者も武士も富貴の者には及ばないことを述べたものである。

久須本文雄『座右版 寒山拾得』講談社 ISBN:9784062072939 page303-304

你の犀角を居うるを縦にし

縦你居犀角
饒君帯虎睛
桃枝将辟穢
蒜穀取為瓔
暖腹茱臾酒
空心枸杞羹
終帰不免死
浪自覓長生

(『寒山詩』二九三番目)

【書き下し文】

你(なんじ)の犀角(さいかく)を居(たくわ)うるを縦(ほしいまま)にし
君の虎睛(こせい)を帯ぶるを饒(ゆる)す
桃枝将(も)って穢(けがれ)を辟け
蒜穀(れいこく)取りうて瓔(えい)と成す
腹を茱臾(しゅゆ)酒もて暖め
心を枸杞(くこ)の羹(あつもの)もて空しくす
終帰(つい)に死を免れざるに
浪(みだり)に自から長生を覓(もと)む

【意味】

あなたが犀角をたくわえたいならご自由に。あなたが虎睛を身に付けたいならご随意に。桃の枝でけがれを払いのけたり、にんにくの殻を取ってきて首飾りにしたり、茱臾酒で腹をあたためたり、枸杞の吸物で心をからっぽにしたりしても、結局死を免れることができないのに、むやみやたらに不老長生を求めて苦労する。

《解釈》

虎睛=虎の瞳。薬用とする。

秦の始皇帝や漢の武帝などは、丹薬による不老不死の願望に取り付かれたが、結局老・死を免れることはできなかった。古歌にも「世の中を何処から見ても嘘ばかり死ぬことばかり真実(まこと)なりけり」とある。寒山もこれまでの詩でも、丹薬の無効を述べて仏教への転向を勧めている。

久須本文雄『座右版 寒山拾得』講談社 ISBN:9784062072939 page 459-460

寒山の無漏の巌

寒山無漏巌
其巌甚濟要
八風吹不動
萬古人傳妙
寂寂好安居
空空離譏誚
孤月夜長明
圓日常来照
虎丘兼虎谿
不用相呼召
世間有王傳
莫把同周召
我自(1)寒巌
快活長歌笑

(1)=辶に豚の字。

(『寒山詩』二九五番目)

【書き下し文】

寒山の無漏(むろ)の巌(いわ)
其の巌は甚だ濟(さい)要なり
八風吹けども動でず
万古人妙を伝う
寂寂として安居に好く
空空として譏誚(きしょう)を離る
孤月夜長(とこし)えに明らかに
円日常に来たりて照らす
虎丘と虎谿と
相い呼召するを用いず
世間に王傳(ふ)有り
把(と)りて周召と同ずること莫(な)かれ
我れ寒巌に(1)(のが)れし自(よ)り
快活にして長く歌笑す

【意味】

寒山には、無漏(むろ)の巌(いわ)があるが、その巌は実に重々しく立派である。どれだけ八風が吹こうともびくとも動かない。いつまでもその霊妙な姿を伝える。そこは物静かで修行するのに良い処で、しかもからりとしていて、人の責めたり誹ったりするようなことは全く無い。一輪の明月がいついつまでも夜の空をあかるく照らし、円(まる)い太陽はいつも天空に現れて光り輝いている。ここは虎丘と虎谿との清浄な霊地のある所であるが、どちらからも呼び招くには及ばない―この無漏巌のよさはとても虎丘や虎谿とは取り換えられない。世間には王の輔佐役がいるが、その人を周公や召公と同じ扱いをしてはいけない。私がこの寒巌に隠棲してからは、気持ちがさっぱりして憂いも無いので、いつも無心に歌ったり割ったりしている。

《脚注》

虎丘=蘇州にある山名。

虎谿=廬山にある古跡。「虎渓三笑」の故事がある。

久須本文雄『座右版 寒山拾得』講談社 ISBN:9784062072939 page 462-463

柳郎は八十二

最後に紹介するこの詩は「虎」という字は出てきませんが、虎を意味する「おと」が出てきます。なお、広辞苑には「於菟(おと)」の表記で、「虎または猫の異名」と。

柳郎八十二
藍嫂一十八
夫妻共百年
相憐情狡猾
弄璋字烏(1)
擲瓦名(2)(3)
屢見枯楊荑
常遭青女殺

《変換できなかった漢字》
(1)=虎の右に兎「虎兎」。
(2)=女の右に官「女官」。
(3)=女の右に、丙の一番上の横棒が左半分だけな字。

(『寒山詩』一一五番目)

【書き下し文】

柳郎は八十二
藍嫂(らんそう)は一十八
夫妻共に百年
相い憐み情は狡猾
璋(しょう)を弄(もてあそ)ぶは烏(1)(おと)と字(なづ)け
瓦を擲(なげう)つは(2)(3)(わつどう)と名づく
屢(しば)しば見る枯楊の荑(ひこばえ)の
常に青女の殺(から)すに遭うを

【意味】

柳さんは八十二歳の老人で、藍ねえさんは年僅か十八の若い女。夫婦合わせてちょうど百歳になる。二人は互いに愛し合った邪恋の仲。二人の子がある。玉をおもちゃにしている男の子は「とら」と名付け、瓦の糸巻きをおもちゃにしている女の子は「でぶ」と名付ける。枯れ楊(やなぎ)に出た若芽が、いつも晩秋になって霜や雪のために霜枯れするのを見ている。

《解釈》

終わり二句について見るに、枯楊は老夫楊郎に喩え、青女は若い妻に喩えたもので、老夫が彼女を娶って子女をもうけたが、彼女を貪愛して身命を損なわせていることや、その邪淫を戒めたもので、寒山の乱淫に対する批判は率直にして痛烈なものといえる。邪淫は仏教でいう五悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒)および十悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語〈虚飾の語〉・悪口・両舌〈二枚舌〉・貪欲・瞋恚〈しんい。怒る〉・邪見)の一つで、他の悪事と共に禁戒とされている。

久須本文雄『座右版 寒山拾得』講談社 ISBN:9784062072939 page209-210

寒山について

唐の時代に、天台山の寒巌に隠棲していたので「寒山」と呼称されました。生没年不詳、本名も素性も経歴も不明で、実在したかどうかも確定はされていない伝説上の人物です。が、詩が残っていることから、誰かはどこかにいたのでしょう。詩の内容から推論するに、寒山は元は農民で妻子もいたが、何らかの理由で遁走、科挙は不合格で文壇にも認められず、放浪のあげく寒巌に隠棲。最初は道教に、その後は仏教、殊に禅に傾斜、が、おそらく(正式な)禅僧ではなく、求道的な隠者で山林幽居を楽しむ詩人であったようです。

寒山の風貌は、『寒山詩集』を残した唐の閭丘胤(りょきゅういん、姓は閭丘)の「序」によれば、「貧乏で気の狂った御仁といわれている」「その様子は乞食のようで、痩せ衰え、樺の木の皮を冠とし、破れた木綿の衣類をまとい、木履(きぐつ)をはいていた」「時々天台の国清禅寺に行き、食堂係の拾得から残飯をもらう」「歌ったり笑ったり、本性のままに楽しんでいるが、正体はまったくわからない」等と。

寒山・拾得、及び、師とされる豊干は、絵画の題材として好まれました。寒山が巻物を、拾得が箒を手にしている構図が有名です。豊干は、山で拾って育てたという虎と一緒に描かれることが多いです。

【参考文献】久須本文雄『座右版 寒山拾得』

丁寧にわかりやすく解説されています。おすすめ!

  • 久須本文雄(くすもと ぶんゆう)
  • 株式会社 講談社
  • ISBN:9784062072939(4062072939)
  • 1995年発行
  • NDC :924 568p 20cm

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