にゃんとも不思議なニャン通力

ネコは昔から神秘な生き物とされていますが、 私の身のまわりにも、不思議な出来事がいくつかおこっています。 やはり神通力、いや、ニャン通力のせいでしょうか?

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車をぶつけて里親さんが見つかる?

免許をとって間もない頃。 ホームセンターの駐車場に車を入れようとした私は、隣の車をこすってしまいました。 慌てて車から降り、隣の車のオーナーである女性と、車体を調べました。 確かにガリッとイヤな音がしたと思ったのに、隣の車にも私の車にも傷がありません。
「大丈夫みたいですねえ」
「あの音は何だったんでしょうね」
二人で首をかしげながら、でもまあ良かったと胸をなで下ろしました。

と、その女性が言いました。
「車のことより、それは何ですか」

その時、私は、ホームセンターの隣にあるペットショップに貼ってもらおうと、 子猫の里親募集のポスターを持っていたのです。

私の話を聞いて、その女性いわく、
「実は私も子猫を1匹拾って里親募集したばかりなんです。 欲しいという人が二人現れまして、そのうちの一人にお渡ししたんですけれど。 もう一人の人が、まだ欲しいかもしれません。 聞いてみましょうか?」
「本当ですか?」
「じゃあ、早速連絡してみますね。良さそうな人でしたよ」

その女性はすぐに連絡をとってくれ、子猫はその女性に紹介された家に貰われていきました。 “車をぶつけて子猫が貰われた”という、非常に珍しいケースでした。 世の中、何がきっかけになるか分かりませんね。

この事件以来、里親探しをするときは、いつどこに行く場合でも、 必ず子猫の写真を持ち歩くようになったのは言うまでもありません。

それにしても、・・・・・ あの「ガリッ」という音はなんだったんだろうと、今でも不思議に思います。

子猫

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玉三郎君のママは・・・・・

まだ乳離れもしていない子猫の兄弟。 拾ったとき、「とりあえず名前を」と考えて、 まず三毛猫のほうは単純に「みけ」と命名。 もう1匹の茶トラ白は
「こっちが“みけ”なら、こっちは“たま”だな」
「白くて綺麗な顔だから、“玉三郎”なんてどう?」
というわけで、玉三郎に決まりました。

その後。 玉三郎は、ある女性のところに里子にいくことになりました。 新しいママは上品で優しそうなご婦人でした。
「名前はもう決めてあります。“たま”です」
「あら、偶然ですね。実は、うちでもその子、玉三郎のタマちゃんと呼ばれていたんです」
「玉三郎ちゃん?まあ、いいわね!私もそう呼ぶことにしましょう」
仮の名前だった玉三郎が、こうして正式な名前となりました。

玉三郎ちゃんが新しい家に貰われていって、数ヶ月後に 里親さんから後日報告がありました。 その手紙を読んで始めて、その里親さんの仕事が分かりました。 なんと日本舞踊のお師匠さんだったんです。

何も知らずに、何気なく付けた“玉三郎のたまちゃん”という名前。 まさか里親さんも最初から“たま”という名前を考えていて、 しかも日本舞踊のお師匠さんだったとは。 すごい偶然だと思いませんか。

ところで、もう1ニャンの“みけ”とは、もちろん、今でもうちにいるみけの事です。

さて、その玉三郎君の里親さんとは、その後は年賀状のやりとりくらいしか、 つきあいはありませんでした。 ネットもメールもお持ちではありませんでした。 ですから、その後、玉三郎君と里親さんがどんな暮らしをしているのか、 よくわかりませんでした。

ある日、上の「車をぶつけて里親が見つかった」ホームセンターへ 久しぶりにでかけました。 ついでに何気なく隣のペットショップを覗いてみると、 「我が家のワンニャン写真展」を開催中でした。 そういうものには無意識のうちに引き寄せられてしまう私ですから、 ついフラフラと中に入って写真を見ました。

とたんに、ある猫の写真が目に飛び込んできました。 うちのみけの顔を白くしたような顔立ち。 ハッとして札を見ると 「○○町 玉三郎ちゃん」と書いてあるではありませんか。

あの子だ!間違いない! 子猫時代の面影がないくらいに、すっかり大きくなって、 でもさすがみけの兄弟、そっくりな顔立ちをして。

他の飼い主さん達が、1枚ずつしか出展していないのに 玉三郎君の写真だけは3枚もありました。
1枚目は、ママの布団を肩までかけて、ママの枕で寝ているところ。
2枚目は、きれいに活けた生け花をかじっているところ。
3枚目は、首にリボンを大きく結んで、すまして座っているところ。

きっと、毎晩一緒にひとつの枕を分け合って、ママと寝ているのでしょう。 生け花に悪戯しても、叱られるどころか 「花を背負って可愛い!写真!」と可愛がられているのでしょう。 リボンを結んでは写真、首輪を取り替えては写真という生活なのでしょう。

めちゃくちゃ可愛がられているんだ・・・ そう思ったとたんに涙が出ました。 玉三郎君は、みけと一緒に、人工ほ乳で育てた子ですから 私としても特に思い出が深い子なのです。 筆無精のママのかわりに、玉三郎君が 「ボクはこんなに幸せだよ」と私を呼んだのかも知れない、 そう思えて仕方ありませんでした。

子猫の背中

*上の写真は栄ちっちの赤ちゃん時代です。

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レオは霊猫?

子供の頃から猫好きだった私は、時々猫を拾っていました。 でもそれは、2,3年に1回程度という、平和な数でした。

6年前、レオを拾いました。 一目惚れした私は、ペット不可のマンションを出て家を買い、 一緒に暮らし始めました。

それからです、猫がうちに集まりだしたのは。

この6年の間に、数えてみたら、にゃんとにゃんと28匹! 年平均5匹近い猫を拾い続けたことになります。

私は、決して決して、猫を探して歩いているわけではありません。 積極的な保護活動はしていません。 ボランティア団体等にも属していません。 ただ、もし偶然、私の手の中に猫が自ら飛び込んできたら、 その子だけは何とかしてあげましょうという、 消極極まりない保護をしているだけです。

なのに、・・・ 運転していれば、止まらなければ轢いてしまう位置に子猫が這い出てくる。 雪の日に峠の無人自動販売機に立ち寄れば、足下で子猫がふるえている。 うちにいればいたで、庭先に次々と猫が現れて・・・

28匹のうち、1匹は残念ながら死に、6匹は今でもうちにいます。 残りはそれぞれの新しい家に貰われていきました。 里親探しの為に機械音痴の私もパソコンを買いネットの世界に乱入。 ついにホームページまで立ち上げることに・・・

これは、きっときっと、レオの仕業なんです。 レオが猫達を呼び寄せているに違いないんです。 私はそう信じています。 だって、レオと暮らし始めるまでは、こんなではなかったのですから。