すわ、トウキョウトガリネズミ!?

前回はみけちゃんの失敗談だったので、 みけの名誉回復のために、みけの狩猟成功談を書きます。

その時、私はすでに電気を消して布団に入っていました。 心地よい眠りにとろとろと引き込まれていく至福の時間。

と・・・

夜中の闇の底に響く、低いうなり声で目が覚めました。

変な声です。
「ううううううう・・」
と低く、かなりドスをきかせた声です。 が、同時に、強い困惑も聞き取れる声です。

最初はおつうかと思いました。 おつうは、バッタやカエルを見つけては、一人興奮して唸りますから。 が、おつうの声にしてはちょっと違うのです。

しぶしぶ布団を抜け出して、隣の部屋の電気をつけました。

そこには、みけがうずくまっていました。 うずくまったまま、みけらしからぬ声で
「うううううう・・・」
と唸っているのです。

「みけちゃん、どうしたの」
私はみけの顔をのぞき込みました。 すると、みけはますます困ったような顔をして
「うううううう・・・」
と唸るのです。 その口元には何かくわえています。

私がそっと手を出すと、みけはホッとしたように その何者かをポトンと落としました。 私を待っていたかのようでした。

みけのくれたものをみて、思わず「キャッ」と手を引っ込めたくなりました。 子ネズミだったからです。 みけは、生まれて初めてネズミを捕まえたものの、 どうして良いか分からず、困っていたのでした。

いえ、・・・

ネズミではない。 よく似ているけれど、別種の生き物・・・

可哀想にその子はすでに息絶えていました。 みけが殺したのか、あるいはみけが発見したとき、 すでに死んでいたのかもしれません。 どこにも出血はなく、噛み傷とおぼしき跡も判別できませんでした。

私は手の中の小動物をつくづく眺めてしまいました。

それがどの種に属する動物かは、一目で分かりました。 トガリネズミの仲間。 モグラの近種です。 ネズミより長く尖った鼻先、ネズミより短いシッポ。 触ったのは初めてでしたけれど、トガリネズミの一種に間違いはありません。

私の疑問は、それがトガリネズミの中のどの種か、ということでした。

みけちゃん

実は、その子があまりに小さいので、あっと思ってしまったのです。 たちまち私の頭の中をある名前が駆けめぐってしまったのです。

トウキョウトガリネズミ!

もちろん、私の理性は直ちに否定しました。 トウキョウトガリネズミは、非常な珍種です。 名前こそ「トウキョウ」と付いていますけれど、本来の生息地は北海道です。 京都府の里山に、‘あの’トウキョウトガリネズミがいるはずないのです。

絶対にいるはずないのですが・・・

そのトガリネズミはとても小さな個体でした。 少なくとも、トガリネズミを見慣れていない私の目には、非常に小さく見えました。

動物好きな人なら、誰でも一度は夢見たことがあるはずです。 新種の動物を発見しちゃったら!? 新種は無理でも、せめて、世にも希な珍種の存在をこの目で確かめてみたい!

見慣れない小さな小さなトガリネズミに、ついつい私が
「もしやトウキョウトガリネズミか?」
と期待を抱いてしまったとしても 責められない感情だろうと思います。 私は・・・トウキョウトガリネズミに絶滅してほしくないんです。 この小さな生物がずっと日本に生存し続けて欲しいんです。 手の中の個体はすでに死んでいます。死んではいますが、ごくごく新しい死体です。 もしこれがトウキョウトガリネズミなら、・・・もしやもしやトウキョウトガリネズミという種名は 正しかったのでは・・・トウキョウトガリネズミは本州にもいたのかも・・・???

というのも、「トウキョウトガリネズミ」の「トウキョウ」は実は 発見者の外国人が蝦夷yezoと江戸yedoを間違えたためだといわれているからなんです。

でもでも、もしかしたら、・・・ その外国人は本当に江戸でトウキョウトガリネズミを発見したのだったかも?

「なぁんてね。そんな訳ないじゃん。 そもそも北海道の動物がブラキストン線を越えてこんなところにいるハズはないでしょ・・・」
などとブツブツつぶやきながらも、私は本棚から次々と動物図鑑を引っ張り出しました。
「もしこれが本当にトウキョウトガリネズミなら 京都府の山中にカモノハシの野生群を発見したよりすごい発見になっちゃうよね」
カモノハシなら珍獣とはいえ、動物園にもいます。 トウキョウトガリネズミの生きた個体は世界のどこの動物園にもいません。 120%違うと知りつつも、なお確かめずにはいられない私。 動物図鑑やら、各種雑誌やら、写真誌やら、ネットやら、何時間も首っ引きで調べましたが・・・

当然ながら、ついに、 トウキョウトガリネズミではないという結論に達しました。

「おそらくジネズミの幼体」 これが最終結論です。

ジネズミもトウキョウトガリネズミと同じく、トガリネズミの仲間です。 が、ジネズミなら、珍しい動物とは言えない。 京都府にふつうに棲息している種です。

こうして私の馬鹿馬鹿しい「トウキョウトガリネズミ騒動」は終わりました。 ジネズミ(?)の仔は山に埋めてあげました。 もう少しでみけちゃんが世紀の大発見をするところだったのに、ちょっと残念です(笑)。

ネズミ類(ネズミじゃないけど)は苦手という人も多いようですので、小さな写真で(汗)

ジネズミ

【付録】

(1)トウキョウトガリネズミ

チビトガリネズミの亜種で、世界最小の哺乳類のひとつ。 頭銅長5センチ、尾長3センチ、体重1.5~2g。

「トウキョウトガリネズミ」の名前の由来が面白いのです。 1903年、ホーカーによって採集され、分類学者トーマスがSorex hawkeri と命名。 ホーカーのラベルに”Inukawa, Yedo”と記されていたため、 「江戸の犬川」という地名で採集されたものと考えられて「トウキョウトガリネズミ」との和名がついたのです。

ところがその後、いくら探しても東京付近に同種は見つからない。 そもそも江戸に犬川という地名すらないのです。 そのため、長年、疑問種とされていましたが。 1957年、北海道東部でトウキョウトガリネズミが再発見されました。

その後の調査で、Inukawa は Mukawa の手書き文字の読み違い、 Yedo は、日本の地名に不慣れなホーカーの聞き間違い、または書き間違い? “Inukawa Yedo” ではなく “Mukawa Yezo”’(鵡川、蝦夷)が正しい採集地だろうということになりました。 というわけで、北海道にしか生息しないにもかかわらず、「トウキョウトガリネズミ」と呼ばれているのです。

なお、トウキョウトガリネズミは、そのホーカーの1個体を含めても、 現在までに48頭ほどしか捕獲記録がない貴重種なのです。

他に最小の哺乳類といわれているのは、キティブタバナコウモリ。タイなどに生息。

最近、同じく小さな哺乳類、コミミトビネズミ(別名ピグミージェルボア)が、 「世界最小のペット」として日本でも売られているようですが、絶対に買わないでね!!!

(2)なぜネコはトガリネズミを食べないか?

ネコはネズミはよく食べますが、ネズミに似たトガリネズミは、ふつう食べません。 その理由として獣医師の野澤延行氏は著書「ネコと暮らせば」(集英社新書)でこう書いています。

『ネコには、よいたんぱく質と悪いタンパク質を区別し、バランスの悪いアミノ酸組成の化学物質を 鼻腔や口腔で完治する能力があります。たとえばモグラの仲間のトガリネズミは、土の中の昆虫を 食べているためその肉質は猫の好みに合いません。つかまえたとしても食べようとはしないのです。 猫が好きなのはもっと良質のタンパク質を持つ都会のネズミです。

バランスの悪いアミノ酸組成とは、必須アミノ酸の量が少なく、体内の利用効率が悪い物です。 つまりトガリネズミは、その食性から必須アミノ酸量が少なく、まずいといういことなのです。しかし トガリネズミにとってはそれが身を守る防護策にもなっています。・・・」(p131)

みけ

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(3)ブラキストン線

イギリス人T. W. ブラキストン(1832~1891)が、津軽海峡を境に、 北海道と本州では動植物の分布が異なることに気づき、 プライアーとともに「日本鳥類目録」で提唱しました。 津軽線ともいいます。

動物相は、ブラキストン線より北でシベリア亜区、南で満州亜区とわかれます。 ヒグマ・ナキウサギなどはブラキストン線より北に、 ツキノワグマ・ニホンザル・ニホンカモシカなどは南に生息します。

日本の生物分布の境界線としては他に「渡瀬線」(トカラ海峡)が有名。

みけ

追記

その後、トウキョウトガリネズミの研究がかなり進みました。2005年頃、なんとか飼育技術を整えることが出来、そしてついに2021年8月、世界で初めてのトウキョウトガリネズミの繁殖にも成功しました。

(それにしても、いつまでトウキョウトガリネズミという名称が使われるのでしょうね?過ちとわかった時点でエゾトガリネズミに訂正するべきだったのでは、と思うのは私だけではないと思います。)